「結婚、するって?」
まるで狐につままれたような思いで駿策は言った。
「ええ。あたしの会社の社長と、後妻さんだけどね」
恋人の玲緒奈のアパートで寝耳に水の報告を受けた。付き合い始めて一年、二十一歳の彼は、年上の恋人にどっぷり溺れていた。
「俺とのことは……」
突然のことに、怒りを通り越して唖然としてしまう。昨夜もこの部屋で抱き合ったばかりなのだ。自分の何が悪いのか。
「あなたとは、ずっと恋人よ。決まってるじゃない。結婚するのは手段よ、手段」
しゃあしゃあと言ってのける年上女の心情が、若い彼には理解できない。彼女も二十八歳の女である、結婚を焦っているのかもしれない。
「金に、目がくらんだのか?」
すでに両親を亡くしている駿策は、アルバイトを続け、奨学金を受けながら大学に通っている、最近では珍しい苦学生だ。だから結婚の条件に財産を持ち出されては到底勝ち目はない。
「そう、それもあるわ。海原は会社を経営しているだけでなく、ビルやアパートも持ってる大変な資産家よ。おそらく総資産三十億は下らないでしょうね」
どこで調べてきたのか、玲緒奈の口から出るのは金の話ばかりだ。キャリアウーマンとして、突っ張って生きている彼女を尊敬さえしていた駿策は大きく失望した。
「それに海原は、あたしをそのまま社員として雇う形をとって、月に五十万もお給料もくれるって言うのよ。もちろん出社する必要はないから、これまで以上にあなたとの時間が取れるわ」
「じゃあ何のために結婚するんだ? あくせく働くのが嫌になったからか?」
苦学生としての自負もある。彼は将来、法律関係の仕事に付きたいと考えていた。
「そんなに怒らないで。あたしの話をよく聞いてよ」
憤怒の表情を隠せない駿策に、弟を諭す姉のような口調で言った。
「海原と結婚することで、生活の心配はいらなくなる。それに毎月もらうお給料であなたの学費も払ってあげることもできる、この部屋もあたしの名義で借りておくから、あなたはここに住めばいい。バイトも辞めて一生懸命勉強して、できるだけ早くあたしを迎えに来てちょうだい」
まるで原稿でも読み上げるように、玲緒奈は一気に言い切った。
確かにアルバイトを辞めれば自由に使える時間が大幅に増える。このアパートは便利も良く環境も悪くない。相部屋の学生寮と違って快適に勉学に励むことができるだろう。しかし迎えに来てと言っても、彼女は人妻になるのだから……。
――要するに身体を売ったわけだ、金持ちの親父に――
喉まで出掛かった言葉を、辛うじて飲み込んだ。言いたい事は山ほどあるが、彼女の意見をまだ聞く必要がある。
「もうひとつ、これが本当の目的なの」
パッチリした二重の中の、黒々とした瞳を輝かせた。
「海原には係累が少ないの。とりあえずは高校生の娘ひとりだけ。長い間の無理もあって身体もかなり悪いわ。つまり彼が死ねば、財産の半分はあたしに入るの……」
まるで宝の山を見つけた子供のように嬉々として言うのだ。
「おい、まさか?」
「大丈夫よ。自分で手を下したり、警察の厄介になるようなことをするつもりはないわ。そんなことをしなくても時間の問題よ」
「そんな簡単に人は死なないよ」
推理小説の一場面のようなことを言う玲緒奈に対し、法律家を志している彼はあくまで現実的だった。
「もちろん、二年や三年で財産が転がり込んでくるとは思ってないわ。あなたが一人前になるのが早ければ、財産を分けてもらってさっさと離婚するって手もあるけどね」
これから新婚生活を送ろうとする女とは思えないほど、奸智に長けた夢を語った。確かに彼女は頭が切れる。切れすぎて怖いところもあるが、それも魅力のひとつだ。
「だからお願い。あなたが納得できないのは分かってる。でも少しの間だけ、あたしが他の男の妻になるのを許して」
悩ましい視線が彼に突き刺さった。
割り切って考えてみれば、決して悪い話ではない。今だって彼女と会えるのは週に一日か、二日とそれほど多くない。これ以上減ることはないだろうし、生活の面倒を見てもらえるのが、何よりありがたい。
「だけどさ、玲緒奈。俺と別れようとは思わなかったのか?」
普通はそうである。後妻とはいえ玉の輿だ。過去の男を断ち切って、身をきれいにして嫁ぐのが当たり前だ。しかし彼女は、
「思うわけないじゃない。何であたしが駿策と別れなくちゃいけないの?」
真摯な瞳で逆に切り返されては返す言葉がない。
「駿策は将来きっとひとかどの人物になる、あたしがしてみせる。いつもそう思ってるのよ。そんなあなたとどうして……。それとも、あなたはやっぱり嫌?」
「そりゃあ、あんまり嬉しいとは言えないけど……。じゃあ玲緒奈、俺がお前の結婚を許さないって言ったらどうする?」
意地の悪い質問だと思いながらも、聞かずにおれなかった。案の定、彼女は思案するそぶりを見せた後、
「……止める。この話はなかったことにしてって、すぐ海原に伝えに行くわ……」
意志の強そうな濃い眉を寄せて断言した。謎めいた瞳の真偽を読みきることはできないが、彼はそこまで言う彼女を信じることにしたのだ……。
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