女神の乳房 第34話
独りで夕食を取った後、貴彦に電話を入れた。そちらに行くからと、あえて軽い調子で伝えた。
出かける前にシャワーを浴びた。別に期待して行くわけではないが、成り行きしだいでは抱かれる可能性もあったからだ。化粧を整え、香水をふりかける姿は、どこから見ても恋人に会いに行く女にしか見えない。裕美子自信もそんな気持ちだった。
夜八時を過ぎた住宅街に人通りはほとんどなく、彼女のハイヒールの音だけがコツコツとリズム良く響く。吹きつける風にも、どこか春の訪れを感じされる暖かさがあった。
二階建てのアパート。その二階の西角、彼の部屋の前でヒールの音を止めた。チャイムを押すのとほとんど同時にドアが開き、貴彦が人懐っこい顔を出す。
「寒かったでしょう?」
裕美子の肩を抱くように室内へ招き入れた。コートの上からも、その手のひらの温もりが感じられた。
何度も訪れている部屋なのだが、今日は何だか雰囲気が違う。初めて恋人の部屋へ入る時のような緊張感がフッと湧いた。石油ストーブで室内は暖められているが、背筋がゾクゾクとする。
コートを二人掛けのソファの片方に置いて、もう片方に腰を下ろした。閉じた膝の上で、裕美子はギュッと拳を握り締めた。
「ごめんなさい……、驚かせちゃって……」
貴彦は床に敷いた座布団に正座をして頭を下げた。
「でも……、僕の気持ちはわかってくれたと思う。貴女の幸せな生活を壊すつもりなんかないし、たとえ親父と別れても僕とは結婚できないしさ……。今の生活を続けながら、気が向いたときだけでもいいから僕のことを見て欲しいんだ……。前にも言ったけど、貴女の豊かな愛情から、少しだけでかまわないから僕にも分けて欲しい……。自分勝手なのはわかってる」
上目遣いで裕美子の顔をじっと見る。熟れた牝に求愛する若い雄のような匂いがあった。
「……わたしはかまないわ、あなたさえそれで良ければ……」
貴彦の視線から逃れるように目を伏せ、うつむきながら言う。
「あなたには長年の重石を取り除いてもらった恩もある。それに女としての自信も取り戻させてもらった……、言葉には表せないぐらい感謝してるわ……。前にも言ったけど、それだけ思われたら女として本望よ……。あの言葉に嘘はないわ……」
裕美子は立ち上がって部屋の照明を消した。
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